どうでもいい存在であること

久しぶりの更新です。すいません。。。
何やら忙しい毎日でした。

のんびりとした時間の中でピアノに向かい、
自分を掘り下げる作業をするというのは、なんとも幸せな時間であったりします。
新しいメロディーが生まれることはそうそうありませんが(笑)
良いなぁと思ったメロディーを書き下ろしていくのは楽しい。

何かが生まれる瞬間って実はあんまり実感がなかったりします。
もうその世界に入り込んでいて、現実なのか、夢なのか分からない妄想の中で(笑)
五線譜に書きなぐってますから。。無我夢中とはこういう状態なんだろうなぁ。

まだ見ぬ風景や、気持ちに想いを馳せながら鍵盤に向かいます。
そう、自己陶酔型です。そうでないと先に進まないんですね。
手紙でも書き出しって大事じゃないですか?
伝えたいことはあるんだけど、その前の書き出しに上手く乗れるかなんです、僕は。

だから曲になっていない8小節くらいのモチーフはたくさんあるんです。
ただ、それを1曲に仕上げていくのは根気のいる作業です。
音楽も生ものなんで新鮮なうちに仕上げてしまわないといけないというのもあって、
来年に向けてどんどん曲を書き上げていこうと思っています。

そんな想いに溢れる日々。
色んなことを考えなければいけない状況。
自分が向かっていく先をしっかり見据えることができるようになってきました。
それがどんな形になろうとも受け入れていく潔さ。

思い至る先にはやはり前向きに物事を捉えて行動していくこと、でした。
その先を決して悲観とかしてる訳ではなく、あるがままに受け入れ、
そこからまた自分も成長していけることを望んでいます。

形而上学的に考えることはとても苦手な自分ですが(笑)
存在そのものから何かの疑問にぶち当たり、
そこで考えるということ。

それは、自分や他者の存在によってのみ成立する話であって
自分が演奏したいという想いに深く根ざした気持ちとしては、
やはり周囲に感謝しながら生きていくことで
その気持ちが証明されていくんだと思いました。

存在そのものを問題にしていくことは
音楽の世界ではとても大切なこと(と思ってます)。

何かが存在しているところを問題にするのではなく、
なぜそこに存在するのか?
という想いの中から生まれてくる音楽にとって、
それを表現する人間の存在を考えることはとても意味のあること。

その音楽を聴きに来てくれる方々の存在もまた大きな意味を持っていて、
両者の想いを繋げていくため表現し、
共有できる音楽は本当に素晴らしいものだと思います。

演奏したり、聴きに行ったり、CD聴いたり音楽に触れる。
いつも考えるのはなぜこの音やハーモニーやリズムがあるのか?
なんてことを思ってるわけですが、
ゼロもしくは無から何かを発する存在に凄く意識が向いていきます。
良い意味で、なぜ今その音なのか?という不思議の連続。

それよりも、もっと直接的に訴えてくる瞬間も多々あります。
実はそのほうが突き刺さり具合は大きいと思います。
形而下学的な側面のほうがよりシンプルに音楽を捉えることができる。

存在そのものが保証されたことを前提にしているからだと思うのですが、
僕にとっては、
「疑問を持ったその瞬間に肯定していく」という
プロセスを楽しんでいる自分もいたりします。

決して僕はインテリではありません(笑)
たまにはこうやって理論をこねくり回したくなるだけです。
ブレの無い音楽を表現していきたいからこその、発酵過程だと思います。



この1ヶ月考えていたこと。
自分はその人にとって「どうでもいい存在」
だと思うこと。

そうすれば、心がモヤモヤした時、
この想いに立ち返って考えてみると、
迷いがなくなる。

誰かを想う気持ちは、
時に自分の力を奪ってしまう。

だから、
自分はその相手にとって、
どうでもいい存在だと考えるようにしてる。



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by arapf331 | 2016-04-25 20:15 | 雑記 | Comments(0)

腹立てず 心は丸く 気は長く おのれ小さく 人は大きく!荒武裕一朗


by あらちゃん