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音楽とは何か?

昨日のソロピアノ@ジャズ喫茶Buncaにお越し頂いた皆様、
本当にありがとうございました。
立ち見も出るほどのお客さんに来て頂き感謝しております。
東北ジャズ支援ライブとして第1回目のライブを終えることができました。
これから1年間12公演です。お時間あれば是非聴きに来てください。

急遽、入場料の中から義援金を募る形ではなく、募金箱で募らせて頂きました。
義援金総額17300円でした。ありがとうございました。
ジャズ喫茶Buncaを通して被災地に責任もってお送りしたいと思います。


ソロピアノ。
僕の中ではとても意義のある表現。

ピアノを通して表現すること。とても考えさせられる内容でした。
ジャズという芸術がこれまで経過してきた過程を改めて思い知る。
今、録音技術や再生技術が発達した現代に生きる人間として、ネットを通して様々な演奏を
動画投稿サイトなんかで見れるようになった。

そうやって音楽的語彙を増やすことができる現在の環境が、昔の演奏家達と比べて飛躍的に
容易になってしまったこと。
これは音楽で表現する人間にとって少し危惧しなくてはいけないように思う。

最小の手段で最大の目的を果たす。いわゆる効率の良さ。
その手段の習得には合理的かつ容易な方法がある。
たとえば市販されているコピー譜に頼ること。
僕は自分の耳で採譜していく作業の大切さを信じている。
努力の最小化ではなく、おそらくは大きな努力や注意を通じてのみ得られるであろう
楽しみの最大化があるから。

しかし、この行為は時間をお金で買っているものと考える人にとっては決して悪いとは思わない。
この進んだ情報社会の中であまりにも不器用だと見えてしまうことに問題があるのかも知れない。
なぜ模倣する作業が大切なのか。なぜ画家は写生したのか?
音符だけではない、音符の向こう側を感じる努力までしないとコピーにはなりえない。
例えるなら芝生の感触とコンクリートの感触の違いに似ている。
僕が目指すのはその方法ではなく、その能力を獲得するために長い訓練や時間を必要とする
「熟練」といった類のもの。

音楽家は方法化された社会の仕組みの中で、飼い慣らされてきてしまっているのでは。
これまでの社会が生み出した合理的主義に対抗して、自分の思想や人格をその演奏において
実現していかなければ、気づかないうちにその「快適さ」に陥ってしまうように思う。

自己表現。
決してこれは快適さだけを追い求めるものではない。
努力の最小化ではなく、表現なんだと思う。
大衆社会に対して、一方には少数の愛好家のための芸術があって、もう一方では大衆社会の
ための芸術(ハリウッド映画等)があって、前者は革新的なのに対し後者は保守的なんだと思う。
僕が考える自己表現はもちろん前者だ。

昨日のソロピアノを通して自分にできることを本当に考える一夜になった。
義援金を募って被災地に当座の費用に充ててもらうことはとても意味のあることだと思う。
しかし、自分自身が音楽を通して出来ることはもっと普遍的でありたい。

被災地に行って演奏して元気になってもらう。これも大切だと思う。
僕は6月に弘前市での演奏の途中に八戸市に行く心構えでいる。
そこから生まれる感情や気持ちを音楽に、曲にしようと思う。

今回のソロピアノ公演に向けて新しい曲を書いた。
昨日が初お披露目でしたが、もっと大切にしていきたい曲。
この曲を聴いて元気になってくれる人たちが1人でも増えることを願って。
作曲中に今の震災や原発の問題をじっくりと考えました。
一義的ではなく、世界の人々が何を考え、何を思っているのか、何を求めているのか、
深く深く考えなければ、僕の未来の行き先は真っ暗闇になってしまう気がしたから。

みんなで考えるきっかけとなる曲を書き、演奏し、伝えていく。
まずはそこがスタート。だから昨日の演奏はその第1歩。

音楽の理解には弱点もあると思う。
1つは自己表現は必ずしも音楽ではないということ。
もしも、自己表現や感情の表出や個性の発揮といったものが、創作活動の目的であり
主要な意味を持つのであれば、夫婦喧嘩も音楽と言える。
そこには怒りの感情が顕在化し、その表現には当人の個性が現れてくるから。

音楽と夫婦喧嘩の違い。
僕ら音楽を志す人間達の多くは、個性の表現を困難にする理論的前提に立って
自分達の個性の表現を目指してしまっているように思う。

だから音楽は、音楽を超える何かとの関係において価値があるのではなく、
それ自身が価値であるということ。
その価値の内容は演奏家の個性的な自己の内部の表現であること。
そして、その表現手段が豊富であればあるほど豊かになり、与えられた規則が少なければ
少ないほど、演奏家は自由だということ。

ソロピアノ。
この命題を自分のピアノで表現していくこと。
そして、それを聞く人達に感動が生まれてくれたら、こんなに嬉しいことはない。
音楽についての僕の「思想」は作品の中に存在している。
全ての作品が自分への「音楽とは何か?」という問いへの答えになっていければと思う。
by arapf331 | 2011-05-16 22:44 | Jazz

腹立てず 心は丸く 気は長く おのれ小さく 人は大きく!荒武裕一朗


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